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9月26日開催された橋本智洋さんの人権教育講演会の感想を掲載します。多くの方から内容の濃い感想を頂戴しました。ありがとうございました。

かなりボリュームがありますが、ゆっくり、じっくり、読んでいただけたらと思います。

文書で配布した感想の「秋桜 号外」はこちらをご覧ください。
講演会当日の様子はこちらをご覧ください。


橋本先生の講義を聴かせていただくのは、2回目です。先生ご自身の人生を振り返りながら、差別と向き合ってこられたことが、非常によくわかりました。話があるごとに私自身ならどうしただろうと想像したりして、聞いていました。

生まれた場所、地名のために差別を受けられ、大変な思いで生活されたと思います。それは非常に不合理なことだと思います。今日の講演のことを家族で話し合ってみようと思います。私達は、気がつかないところで差別しているところがあるかもしれない。

差別と出会ったとき、相手にわかりやすく注意しなければならない。また、差別に気づく感性をもっていなければならないと思います。今後も、講演会等に参加して、感性を磨いていこうと思いました。



同和教育を受ける中で、「出身は聞かない方がいい」と耳にしてきましたが、私も相手を知る仲良くなる糸口だが、別に差別しとるわけではないと、心の中で思っていました。でも、橋本さんの話を聞いて、何でもないと思っていた質問にそんなに心を痛めておられる人がいるんだという事をつくづく感じました。

これからは違う事で仲良くなる糸口をみつけていきたいと思います。 歌、歌詞、心にしみました。ただ、何年か後、もっと軽やかに歌われる橋本先生にお会いしたいと思います。そうなるよう少しでも知っているからしていると言えるよう努力していきたいと思います。講演を終え、外へ出たら、たぬきが踊りそうな月夜でした。


・ただそこに生まれたというだけで、どうして差別されるのか、
・差別する側が差別している事に気づいていない、気づけないという事は部落問題に限らず、言える事だと思った。
・知らないうちに強者の側に立って平気で相手を傷つけるような事をしているかもしれないというおそろしさを感じた。
・どうしたら相手の立場に近づけるのだろうか。自分の弱さ、誤りを認める勇気がなければ人とつながっていけないのだと思った。


淡々とした口調で語られる言葉の一つ一つ、フレーズが心に響く講演でした。生まれた場所、親の職業、自分ではどうしようもない事柄で”世間”から評価されてしまう悲しさ、もどかしさ…自分の一番近い人には語れない差別の話。

 日常生活を送っておられる中から出てくる本音は私の心の中にストレートに入ってきたように思います。
 45歳の私には橋本さんの歌のメロディーはどれも心地よく、詞とお話しがだぶってしまいおもわず涙してしまいました。是非一度コンサート向きの会場で、じっくりシンガーソングライター橋本智洋の世界に入ってみたいと思っています。その日がくるのを楽しみにしています。お元気でご活躍をお祈りしています。

続きはこちら
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reported by terasaka


 今まで人権教育、特に部落差別の問題をとりあげた講演や研修には何回も参加してきましたが、今回の講演ほど心を動かされた講演はなかったです。

 今までは何となくうわべのことだけを考えてきたように思います。相手の立場に立って行動するなどと簡単に言ってきたけど、心底相手のことを考えた行動ができていなかった自分があり、とても恥ずかしい気持ちになりました。

 橋本先生は、しっかりとした自分の考えをお持ちで差別と戦っておられるんですが、今でも出身地をきかれるとドキッとするといわれました。そういう心を苦しめているという差別の根強さを改めて感じました。

 先生の歌で今まで気づかなかった自分をふりかえることができたように思います。
 とても素晴らし講演でした。ありがとうございました。


 自分の体験を率直に話していただき、素直に心に響きました。また歌にすると、もっと心に響く感じがしました。言葉の暴力ではありませんが、言った本人は覚えていなくても、言われた方は、いつまでも心に残っていることはよくあることですが、相手の気持ちになって考えることの大切さをあらためて感じました。

 立ち止まって考えるいい機会を与えていただきありがとうございました。


 わかりやすく部落差別の事、自分の気持ちをくわしく話してくださり感動しました。
 唄も心にしみいり、目が涙でうるみました。本当にありがとうございました。
 講演会に参加できて良かったです。


 子どもが幼稚園の頃から同和教育というものはありました。小学校、中学校、高校と親子とも学んできたはずなのに、橋本先生の詩のような現実を知らなかったのはやはり「知らなかった」という罪なのではないか?という思いにとらわれました。

 同和教育だけでなくても世の中には理不尽な事で悔しい思いをする事も多々あります。その当事者になった時、やっぱり本当の痛みはその人だけにしかわからないとも思います。ですが、自分が痛みを経験しているからこそ、人の痛みも察する事ができます。

 子供を持つ同じ親の立場としてわが子に語り継ぎたいと思います。世の中にこんな理不尽な事があってよいのか?あなたがその立場ならどうするか?これからも一緒に考えてゆきたい。橋本先生の歌はとても切なく魂の歌という気がしました。その歌が終わったとたん、拍手が起こるのに違和感を感じたのは私だけでしょうか。


「こんな態度や言葉で傷ついた」と言ってもらわないとわからないのでやっぱり言って欲しいと思います。思いをきちんと伝えられる人間関係ができるといいなと思います。
 最近「部落」という言葉に敏感になっていると思う。昔は集落の単位として使っていて、今の○○地区という言い方より○○部落という言い方の方が、人と人のつながりが強く感じられます。本来の使い方をしてもあたりまえの時が来なければならないと思います。


 人生40有余年生きてきましたが、これほど中身のある充実した研修(講演)は初めてです。感動した、もう一度いや何度でも聞いてみたい。そんな表現を超越した内容でした。

 講師先生の半生を如実に言葉で伝え、時には生々しくつらく苦しい出来事をすべてさらけ出し、参加者それぞれが人権問題を振り返る絶好の機会であった。
 話を聞いて考えさせられたのは、やはり世論が肝心ということである。我々世代が老人になった時、どういう社会になっているのだろうか。


 私はどうなのか、ということを問いかけられたのが、初めての斬新な体験でした。自分は部落差別にどう向き合うのか、どう関わるのか、人ごとでも昔のことでもなく、自分のこととして考え行動することの大切さを改めて教えられました。

 橋本氏ほどの方でも、出身地を聞かれると心臓が打つのですから、差別される方の苦痛は、聞いただけでは分からない、測り知れない痛みだと思います。

 娘さんのことを思って歌われた「きみへ」を聴くうち、涙があふれてきました。同じ親として、私も、わが子を守ってやらねばと気づかされました。

 私は49歳ですが、40歳の方のご両親でも文盲に近いことをお聞きして、今でもそんなことがあるのかと、愕然としました。土下座のことをお聞きし、ご両親の思いと、本当に愛されて育てられたのだということを感じ、思いました。

 また、橋本先生の淡々とした語り口に、逆にその思いの深さ、大きさを感じさせられました。


 差別は思いやり優しさだけでは解決しない、人との関わりの中で解決するとのお話しは新鮮でした。気づかないだけで自分の中にある差別に向き合うことの大切さを認識させられたお話しでした。


 橋本先生、今日はどうもありがとうございました。先生の40年間のふりかえり(「苦しさから逃れるための自己紹介」)を聞きながら、自分のふりかえりをしました。橋本先生が生まれたふるさと、両親の職業、小卒・中卒の両親を恥じ、かくそうとしたと話されたのを聞いていて、障害がある家族がいる私の生い立ちとダブって、涙がでてしまいました。

 私はその家族、両親と同居していますが、充分に家族を認めたり、両親にやさしくしたりしているわけではありません。育ててくれたことは感謝していますが、両親の言動をきらっているところもたくさんあります。自分の生い立ちや家族のことは、自分が信じられると思った人にしか話すことはできません。やはり、心が解放されていないのでしょう。

 私は、橋本先生と同業の小学校教員ですが、橋本先生から「自分のふりかえりをしない一番は教員であり、本音と立前を使い分けている。」と批判されました。また私も教え子に部落に対するマイナスイメージを持たせてしまったのだろうかとも考えてしまいました。橋本先生の話を聞いたのは2回目ですが、頭の中はすっきりしません。でも、自分をふりかえることができた90分でした。ありがとうございました。


 隠しても隠しても逃げても逃げても苦しくて仕方がない、もやもやした苦しみを率直に語ってくださったのが、新鮮だったというか納得できたというのが素直な感想です。今まで差別に対する怒りや差別に立ち向かっている方の強い生き方を聞くことが多かったので、自分の生い立ちの中でその都度感じられたことや考えられたことを振り返りながら語ってくださったことがありがたかったです。
 
 自分自身を振り返りながら聞きました。差別は私とあなたの具体的なかかわりの中でなくしていくもの、自分自身を見つめ振り返ることを通してなくしていくものということはその通りだと思います。しかし、一方で「自分自身を振り返る力」をどう育てていくかということが大きな課題となってきているのではないかと思います。各家庭での子育ての中で、また学校生活のさまざまな体験の中で「振り返る力」は育てられていくのではないかと思います。

 いじめた子に振り返らせることは難しいという言葉に一番どきっとしました。自分の中にある差別意識に気づかない限り差別はなくならないとすると、部落問題の解決をはじめ、人と人とのかかわりの中で生まれてくる差別をなくしていくためには今まで以上に努力や本気の取り組みがなければいけないのではないかと思います。

 まず自分自身が「振り返る力」をと思うので、また講演会等に参加していきたいと思います。
 歌詞の中にたくさんの本音の言葉があり、自分も詩を書いてみると本心に気づくかもしれませんね。きれいごとでなく…


 自分自身を見つめ直す機会となり、とてもよい講演だった。
 この世の中に生まれ、今こうしていることのすばらしさを感じ、一人一人が大切な存在であることを実感しながら生きたいと願うが、自己否定をしたり、人の存在観を否定したりするなど、人間の尊厳を傷つけることが、自分にはある。そうした生き方をしたくないのにしてしまう自分を深く見つめ、よりよい生き方ができるように、今日の講演のように、自分自身のための同和教育を今後も学んでいきたい。

 世間体、因習等のしがらみから自己を解放し、自分自身のことがわが子や児童・生徒に語れる人になれるように努力したい。
 こんな思いを抱く原動力は研修会の参加や人との出会いである。学ぶこと、人とつながることを大切にしていきたいと思う。


 静かで穏やかな口調の中に強い感情を感じました。
 ストレートでない分、痛烈だったと思います。教育のあり方が差別を生み出し、助長する例そのものを提示されていました。

 誰も差別者だと言われたくないけれど、差別する意識は厳然と存在している。なぜだろう。人を差別することが気持ちのよいことだからでしょうか。人の意識の問題に関わることは本当に難しいと思います。ならば、せめて被差別の立場に立つ人の気持ちを楽にするようにしたい。


 誠実に自分に向き合おうとしておられる橋本さんのお姿に感動しました。本当の自分をしっかり見ようとするのはなかなか勇気のいるものだと常に思っていますから…

 本日のお話しの中の具体的な事例が、自分の過去の体験にあてはまるとか、思い当たるということは少なかったのですが、現れ方が違うだけで根底に流れるものは一緒かも知れない色々なことが頭の中をぐるぐる巡って、「ああ…自分はあの時どうするのが一番よかったかなあ…」と考えると、自然に涙が出てきて辛かったです。

 本日はお忙しい中、遠い倉吉までやってきて私達の心をゆさぶって起こしてくださったことに感謝します。ありがとうございました。


 橋本さんのお話を聞いてとても不安で追いつめられていて、自分ではどうすることもできなくて、でも行動を起こすしかなくて…という、本当に人間の弱い部分に触れたというか、よくぞ見せてくださったという思いでした。でもお話しとは違って、歌ではとても前向きな歌詞で、声も大きく歌ってくださったので、橋本さんにはこんな素晴らしい表現方法があってよかったなと思いました。

 自分で自分を励ましている気がしました。でもこんな思いをしている人がいる世の中はやっぱりおかしいです。人はそれぞれいろんな痛みをかかえて生きていると思いますが、それに気づける人間になりたいと思いました。そして私の痛みに触れる人に出会った時、負けない自分になりたいと思いました。


 自分の故郷が言えない、隠さなければいけない思いをしている人が、数多くおられる、差別をなくそうという取り組みは地域、市町村、県と全国各地で行われているのに、今も現実として差別はなくなっていない。

 制度ができ、環境が変わり、時代が変わっても残り続けているのは、何故かということが、講演を聞いて改めて考えさせられました。
 幾度と研修を重ね、誰ひとり差別されてはいけないと思っていても、思っているだけで時として根強く自分の中にある差別性が出てきているのではないか、意識をかえると簡単にいうが、変わってきているだろうかと思いました。

 差別はまちがいだと言えることが出来ないのはまだ自分の中に俗にいう世間の目ということを気にする自分がいるのではと思わされます。「それっておかしいよ」「ちがうよ」と言える人間関係を作ることの大切さを感じました。


 今日のお話しを聞き、橋本さんが今現在もまだ続く差別を受けておられる辛い思いが伝わってきてとても切ない気持ちになりました。自分の何気ないひと言で傷つけてしまった人が今までに多々あったと思います。
 「どこに住んどんなる。うちはどこ?」と本当に相手の気持ちも考えずに平気で言っていたように思います。「別に差別するつもりはない!!」とこちらは一方的に思っても、相手がこんなに辛い気持ちでおられたんだという事を知り、ただ、反省するばかりです。
 
 このような講演会に参加していつも思う事は、日々生活の中で、つい忘れてしまったりしている事を思い出させてもらったり、気づかせてもらえるいい機会になっていますので、これからも出来る限り参加していきたいと思います。本日はどうも有難うございました。


 講師の橋本さんのお話を聴くのは2回目ですが、今日もしっかりと自分を振り返ることができました。お話しされるように、自分は差別をしていないと思う一方で、無関心をよそおう自分がいることに気づきました。


 胸にジ~ンとしみわたってくる唄とお話しでした。
 娘が同教ロングホームルームを運営していくにあたって、私にアドバイスを求めてきた事があり、色々な意見や提案をしてみたのですが…私は一番大切な事に気がついていなかったようです。橋本先生の生い立ちを聞きながら、小さい頃から心に大きなおもりを持ちながら頑張って生きている人がいる事を。

 帰宅後娘に言いました。「教室の中には色々な思いや悩みを持っている人がいる事を忘れたらいけんよ。」私もそういう意味で、差別をなくそうとする意識、人を思いやる気持ちが足りなかった事を反省しました。
 
 娘も行けばよかったと残念がっていました。心のこもった講演ありがとうございました。感謝致します。


 ありがとうございました。
 自分の生き方をしっかり振り返り、人を大切にした生き方をしていこうと思いました。
 すてきな会でした。


 講演会の冒頭に「話、歌のどこに反応したのかを自分に問うこと」「自分が生きてきた価値観を見つめ直すこと」と言われたことが強く印象に残りました。
 果たして自分はどんな所に反応するのか…と少々身がまえながら拝聴していました。

 『夕焼けの唄』の中の「差別と向き合うために」
  →向き合っているのか?自分自身と
   自分の中の差別心と。
  →歴史を作る、歴史の一部なのだから
 これからも問い続けていきます。
 本日はありがとうございました。


 橋本さんがいきてこられた中での心の中の本音、歌声は、私の今までの出会いを振り返ることの大切さを教えていただいた気がします。一度にはなかなかできないと思いますが、少しずつ自分を振り返って、物の見方を変えることができればと思います。
 貴重なお話しありがとうございました。


 いつもあたえられたものに、まわりに不満をもっている(いだいている)めぐまれた、めぐまれてない環境にあることに気づいていない。
 今は謙虚に認めることから、自分を見つめなおすことからはじまる。

 生まれたときは同じなのにいろいろ生ってしまう。
 何がその人を変えたのか、人間として大切なのはなんだろう
 人生をどう生きるのか。
 汗してまじめに働く貧乏人より金もちがえらい世の中
 謙虚にまじめに生きていきたいものです。


 非常に新鮮で心を打たれた。家族、子供、そしてふるさと。誰にでもある大切なものを温めるのではなく、逆に部落で生まれたことで、大切な物を差別してしまう自分は本当に辛い。橋本さんのその辛さを考えると胸がいたみました。

 私は家族もふるさとも大切です。傷つけられたくもないし、守っていきたい。なぜ部落差別はなくならないのか、どうすればよいのか、今の私にはわかりません。しかし、橋本さんが差別と向き合い、「私は自己紹介をさせていただいているだけです。」と言われたとき、どんな小さなことでも人に伝えられるものがあるのではないかと感じました。それを探していきたい。
 
 また、私は常に自分の差別性に恐怖を抱いています。差別したくないと思っていても、きっと私の心には差別心がある。その差別心と向き合い続けていきたい。そして、橋本さんが話してみようと思える人になりたいと思う。とても学ぶことの多い講演会でした。お忙しい中準備して下さりありがとうございました。


 改めて、詩とか歌というものはよいなあと感じました。橋本先生は頭から言っておられましたが、「自分」を正直に紹介したり表したり、やっていることはそれだけかもしれないけれど、実は我々に出来ることはせいぜいそれだけなのだとしみじみ思いました。そして何より正直に語ることが難しいのだと実感したりしました。

 「見知らぬ人ならいくらでも語れるが、身近な人には語れない。」いい言葉だなと。やはり曲をつくられるような方が考えた言葉であり、そしてよい言葉は散文的です。差別に立ち向かうということは、理論をもって敵対するものにぶちあたることではない、ふるえながら自分自身を語ることだと、私もそんな授業がしてみたいと思いました。


 講演ありがとうございました。自分自身、小学校、中学校、高校、大学、現在と同和教育を振り返りながら聞かせていただきました。初めて被差別部落というものを知った小学6年生から、特に、中学、高校での同和教育での自分の考えていたことが、自然と浮かんできました。

 当時、自分は、差別をしたくない。差別をしてしまったらどうしよう。何で部落差別なんてあるだいや。なんて考えて、同和教育を受けることが恐かったことを思い出しました。でもそれは、自分自身の差別心に気づくことを恐れていたんだと思います。橋本先生の肩に力を入れず、それでいて重みのある、説得力のある話し方に、自分も自分自身を振り返って考えてみようと思いました。


 実は、講演中、自分の中の差別性について考えていました。今、住んでいる所は、恩志と同じように集落の中に被差別部落とそうでないところがあり、集落も一、二という風に分けられています。私は、結婚して今の住所になったのですが、どこかで集落の名を言うことをためらっている自分がいました。

 ”思い悩む”ところまではいってはいませんが、少なからず学校で生徒たちの前に立っている自分が偽善者のように思えたのも事実です。
 人権教育は自分をさらけ出すことから始まると思っています。そういった点で自分を本当に振り返っていたか、生徒の前で真摯でいたか、自問自答しながら講演を聞いていました。


 「差別」に反対するだけではなく、行動していかなければならないということの意義を、またひとつ見つけたように思っています。「部落」出身の生徒の、顔を思いうかべながら聞いていました。「部落」との距離のとり方は、生徒によって様々です。

 今までは、そこを深く聞くことに対して、どうしていいのか戸惑っていました。でも今、詳しく、どう思っているのか聞きたいです。そして私も、一緒に考えていきたいです。とにかく何かやらなきゃ、と強く思っています。その生徒たちにとっての同教LHRの位置づけの、重みを常に私も感じていたいです。

 私自身もマイナスにとらえている属性があって、いつもそのことを考えているのですが、お話をうかがって、そういうことがあって、幸運だなと少し思っています。他人のことを想像するきっかけにはなるなあと改めて認識しました。ありがとうございました。


 穏やかな語り口で、正直な気持ちを淡々と述べておられましたが、詩や歌声から熱い思いが感じられました。
 押しつけを感じさせない、同和教育とはかくあるべしと知らされた様で、大変勉強になりました。すばらしい講師を探された委員の方に感謝したいと思います。
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